2008年06月19日
ブラジル移民 from Japan
1908年(明治41年)6月18日、165家族781人の日本人が、
ブラジル行き移民船「笠戸丸」でブラジルのサントス港に入港しました。
それから昨日6月18日で100年になります。
明治41年4月28日、神戸港を出港してから約50日の船旅でした。
2回目は900人、3回目1400人、4回目が1500人だったそうです。
共存共栄の基に移民事業を推進したのは高知県生まれの
水野龍と言う人で、事業を推し進めた後、65才でブラジルに渡り、
91才でブラジルで亡くなっておられます。
軍事拡大を基にした満州移民、北米やハワイへは約25万人、そしてブラジルへは
約26万人が渡り、現在ブラジルには約150万人の日系人が生活しているそうです。
福岡県は全国でも3番目に多い25,000人のブラジル移民を送りだしているそうです。
その大半を筑後川流域の出身者がしめており、大刀洗町から約300人の
隠れキリシタンの末裔達もブラジルへ渡って行ったそうです。
現在、その記念祭参加のため、皇太子殿下がブラジルへ渡航されております。
以上はNHKテレビの18日放送「その時歴史が動いた」と
西日本新聞朝刊記事を要約して記述しました。
ブラジル行き移民船「笠戸丸」でブラジルのサントス港に入港しました。
それから昨日6月18日で100年になります。
明治41年4月28日、神戸港を出港してから約50日の船旅でした。
2回目は900人、3回目1400人、4回目が1500人だったそうです。
共存共栄の基に移民事業を推進したのは高知県生まれの
水野龍と言う人で、事業を推し進めた後、65才でブラジルに渡り、
91才でブラジルで亡くなっておられます。
軍事拡大を基にした満州移民、北米やハワイへは約25万人、そしてブラジルへは
約26万人が渡り、現在ブラジルには約150万人の日系人が生活しているそうです。
福岡県は全国でも3番目に多い25,000人のブラジル移民を送りだしているそうです。
その大半を筑後川流域の出身者がしめており、大刀洗町から約300人の
隠れキリシタンの末裔達もブラジルへ渡って行ったそうです。
現在、その記念祭参加のため、皇太子殿下がブラジルへ渡航されております。
以上はNHKテレビの18日放送「その時歴史が動いた」と
西日本新聞朝刊記事を要約して記述しました。
Posted by 福岡桃太郎 at 11:50│Comments(0)
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