2007年10月31日

松尾芭蕉の「奥の細道」その3

NHKテレビ、趣味悠々「奥の細道を歩く」の再放送を見ました。

“ 荒海や佐渡によこたふ天の川(河) ”

出雲崎で作った有名な俳句です。当時、出雲崎は佐渡から運ばれた
金、銀の受け入れ港でした。晴れた日には佐渡島が見えるそうです。 

新潟県の行程は出雲崎 → 親不知 → 市振(新潟県 or 富山県?)でした。

深川を6月に出発して3ヶ月目で、大垣に至るまでで最大の難所だったと思われます。
当時の親不知は、天険と呼ばれ、海まで断崖絶壁の急面がせまっていて、
絶壁と海の波をかいくぐり、やっとの思いで、市振に辿り着いたことが想像されます。
8日間、記述がないそうです。

市振では大崎屋と言う旅籠屋に泊まり、ほっとしたことが想像されます。
隣の部屋に2人の(お伊勢参りに行く)遊女が宿をとっていて、それも
俳句にしております。約6ヶ月間の旅で、女性の登場はここだけでしょう。

市振はイカ、鯖、アナゴの浜焼きが近在では有名だそうです。
大崎屋跡には芭蕉のことが記述された標識が立てられておりました。









Posted by 福岡桃太郎 at 16:03│Comments(0)
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