古橋、橋爪‥そして山中毅
日本水泳界に燦然と輝く古橋廣之進、橋爪士郎‥‥
その後に続いたのが山中毅選手でした。
水泳の古橋、野球の長嶋、王、そして相撲界の大鵬‥は
スポーツ界の英雄です。
山中毅は石川県立輪島高校在学中の1956年メルボルン・オリンピックに出場、
自由形400mと1500mの2種目でオーストラリアのマレー・ローズに次ぐ2位で
銀メダルを獲得。1956年メルボルン、60年ローマ、64年東京と3度のオリンピックで
述べ7種目に出場し、4個の銀メダルを含めてすべてに入賞しています。
本人曰く「銀4つもいらない。金の1つでいい」は本音。
私はこの言葉が良く分かります。
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水泳界英雄の山中毅氏のことをブログに記述したくなったのは次の
信じ難い奇跡に近い強運の持主だったことにあります。
早大在学中(?)、米国に留学していて、オーストラリアのジョン・コンラッズ選手と
南米に招待されたが、2人帰国便に乗り遅れたそうです。乗るはずの飛行機が
南米の山中に墜落、全員死亡。
その後、66年の羽田沖、松山沖の全日空機墜落事故も飛び立つ前に
友人と出会い、搭乗をキャンセルして助かったそうです。
世の中には奇跡みたいなことや信じ難い強運がありますが、
山中選手の3回飛行機事故を偶然免れたこともこの範疇に入り、
嬉しい驚きです。
2月10日、78歳で他界されました。
以上は5月6日の西日本新聞記事とパソコン検索からの情報です。
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