水城館
2017年07月16日
先週、太宰府市からの帰途、再度、史跡・水城跡に立寄りました。
小高い丘の側面の土の中に水城館の建物が収まっています。
丘の土の中に建物があるのは珍しいなーと思いました。
私は時間に追われ、時間が無かったので、史跡・水城跡の
資料が展示されているであろう水城館の建物の中には入りませんでした。
珍しかったので写真だけ撮ってきました。
韓国の白村江の戦(663年)、倭(日本)・百済(韓国)ー対ー新羅(韓国)・唐の
戦いに負けた倭・百済は664年(天智天皇3年)水城(全長1.2km,高さ9m,
基底部の幅80m,上部の幅25m,二段構造の土塁)を造る。
その1年後、665年(天智4年)、古代山城(朝鮮式山城)の基肄城
(佐賀県基山町ー標高404m),と大野城(福岡県大野城市?)を建造し、
新羅軍の侵攻に備えました。
水城の土塁に沿って遊歩道があります。大野城は水城の直ぐ上方に位置し、
基肄城(基山)も水城から約10km(?)の近距離にあります。
両方の山は中学校の遠足で何回か登山してます。以下2枚の写真は水城館の建物です。
小高い丘の側面の土の中に水城館の建物が収まっています。
丘の土の中に建物があるのは珍しいなーと思いました。
私は時間に追われ、時間が無かったので、史跡・水城跡の
資料が展示されているであろう水城館の建物の中には入りませんでした。
珍しかったので写真だけ撮ってきました。
韓国の白村江の戦(663年)、倭(日本)・百済(韓国)ー対ー新羅(韓国)・唐の
戦いに負けた倭・百済は664年(天智天皇3年)水城(全長1.2km,高さ9m,
基底部の幅80m,上部の幅25m,二段構造の土塁)を造る。
その1年後、665年(天智4年)、古代山城(朝鮮式山城)の基肄城
(佐賀県基山町ー標高404m),と大野城(福岡県大野城市?)を建造し、
新羅軍の侵攻に備えました。
水城の土塁に沿って遊歩道があります。大野城は水城の直ぐ上方に位置し、
基肄城(基山)も水城から約10km(?)の近距離にあります。
両方の山は中学校の遠足で何回か登山してます。以下2枚の写真は水城館の建物です。
Posted by 福岡桃太郎 at 02:21│Comments(0)
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