2015年08月07日
山本作兵衛の炭鉱絵
7月24日(金)「山本作兵衛の世界」展を見に
福岡市博物館(早良区百道浜3丁目1ー1)へ行ってきました。
作兵衛さんの炭鉱坑内外の絵は(記憶の坑道として)
ユネスコの世界記憶遺産に選ばれています。
1892年(明治25年)、現在の飯塚市で生まれ、約50年間移り住んだ炭鉱は
18を数え、1984年(昭和59年)92歳で他界されています。
明治、大正時代は写真機が珍しい時代で、坑内に写真機を持って行って
写真を撮ることなどは大変難しい時代だったと思います。それで作兵衛
さんの写術的絵画が、石炭産業黎明期を写しだした貴重価値があり、
世界記憶遺産に認められたと思います。
1,000以上の作品が残っていて、絵は解説付きで、写真みたいに正確に
きちんと描かれています。
明治、大正期の炭鉱労働は大変な重労働で、坑内に女性も多く、
男性と同じように働いていたことが分かります。
1988年(昭和63年)田川市石炭資料館に作兵衛さんの常設展示コーナーが
設置されています。
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福岡市博物館は立派な建物で、クーラーが利いていて、涼しく快適に
過ごせました。
福岡市博物館(早良区百道浜3丁目1ー1)へ行ってきました。
作兵衛さんの炭鉱坑内外の絵は(記憶の坑道として)
ユネスコの世界記憶遺産に選ばれています。
1892年(明治25年)、現在の飯塚市で生まれ、約50年間移り住んだ炭鉱は
18を数え、1984年(昭和59年)92歳で他界されています。
明治、大正時代は写真機が珍しい時代で、坑内に写真機を持って行って
写真を撮ることなどは大変難しい時代だったと思います。それで作兵衛
さんの写術的絵画が、石炭産業黎明期を写しだした貴重価値があり、
世界記憶遺産に認められたと思います。
1,000以上の作品が残っていて、絵は解説付きで、写真みたいに正確に
きちんと描かれています。
明治、大正期の炭鉱労働は大変な重労働で、坑内に女性も多く、
男性と同じように働いていたことが分かります。
1988年(昭和63年)田川市石炭資料館に作兵衛さんの常設展示コーナーが
設置されています。
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福岡市博物館は立派な建物で、クーラーが利いていて、涼しく快適に
過ごせました。
Posted by 福岡桃太郎 at 13:19│Comments(0)
│文化、芸能